その名を聞く

 それは不可思議ないきものだった。
 血の色にも似た紅色の外套は目立つ。彼が街を歩くとき、彼を知る者も知らぬ者も、必ず彼から距離を取った。
 だがその日、ひとりだけ彼に近づく者があった。
 視界の端に映ったものが、ふらりと影をよろめかせた刹那、意識のうちに無い速さで刀を抜いた。頚動脈を両の手に持った刃で捉える。
 眼前の目が開く。
 茶の色をした瞳に生気が戻ると同時に、その瞳に鋼の光が閃いた。
「……死にたいか」
 その場で切り捨てなかったことに意味など無かった。
 瞳が彼を捉える。顔色を無くしながら、無意識か右手が腰元へ僅かに動く。だが柄にも触れずに落ちた。息を呑む。
「……オレに」
 声は震えていた。
「オレに、剣を教えてください」
 言葉の意味を取ることが出来ず、知らず、彼の眉間が皺を作る。
「あなたのように、強く、なりたいんです」
 投げるような言葉が、震える声で、しかし真摯に言う。
「なれぬ」
「あなたが、教えて、くれれば」
 少年は尚も言う。
 彼は視線を外した。突然と興味を失ったように身を引き、刀を鞘に納める。
「……教えぬ」
 彼のいらえに、彼の正面に立った少年は、それでも諦めなかった。
 現れたヒョーゴが少年に何をか問うが、それも既に彼の耳には届いていない。
「己の力をわきまえろ」
 呟くように言葉を投げ、彼は雑踏に消えた。

 彼が屋敷に戻ると、その少年はそこに居た。
 襖を開くと、途方に暮れたといった風情で畳の上に座る姿があり、彼は僅か瞠目した。
 その顔がこちらを仰ぐ。
「……キュウゾウさん」
 少年はヒョーゴの言葉でキュウゾウの名を知った。
 彼の名を呼び、次いで立ち上がる。
「……何をしている」
「オレに、剣術を教えてください」
「剣術?」
「オレ、サムライになりたいんです」
 変わらぬ真摯さを帯びた声が言う。
 それに見向きをしようともせず、彼は踵を返した。
「キュウゾウさん!」
「……教えぬ」
 囁くように告げ、彼は部屋を後にする。
 キュウゾウは少年に名乗る間すら与えなかった。だが、ヒョーゴが彼にそれを教えた。
 少年の名はイブキと言った。