冴え冴えと光る
神無村へと発つ前の晩のことだった。
野営地から離れた森の陰に佇むキュウゾウをどうやってか見付け出してイブキは彼に対峙した。
キュウゾウは樫の老木の太い幹に背を預け彼方の山を見ていた。イブキは彼から少し距離を置いて立つ。
月明かりを背にしていた。俯き、爪先を見詰める。
「……生きていたか」
暫くの沈黙の後、キュウゾウが言った。
彼が口を開いたことへの、驚きが気配に表れる。イブキは顔を上げたようだった。
キュウゾウの目が変わらず自分を見ていないことへか、小さく息を呑む。
「……おめおめと、生き残りました」
寝返ったのだ。此処に居るということはそういういことだった。カンベエたちを追う少し前に、生き残ったかむろ衆が何をか言っていたことは彼の意識の隅に残っていた。
「オレは、キュウゾウさんを、裏切りました」
また、という言葉をイブキが呑み込んだ。何を感じているのか、ぎこちない口調は、それでも言葉を続ける。
「オレは、覚悟を決めたんです」
遥か彼方、冷たく冴える月を視界に入れていたキュウゾウの目が、す、と細くなった。
「キュウゾウさんを、裏切ってでも、村を救うと」
目的の村は、故郷だと誰かが言っていた気がした。
イブキは、命乞いをしなかった。
畳に額を据えながら、己の行為に拠って命を絶たれることも仕方が無いと思っていた。己のした事が命が掛かる事だと理解していた。
屋敷でのあの時、そうまでしてキュウゾウの元にいることを望みながら、覚悟を決めたその時、彼を裏切ることを選んだ。
つい、とキュウゾウの視線が動く。
イブキは彼の視線を捉えた。真正面からキュウゾウの顔を見る。
「オレはもう逃げません」
震えの滲む声が、しかし気丈な振りをして言う。
「キュウゾウさんを裏切ったオレは、あなたを師匠と呼ぶ資格はありません。でも、オレにとって、師匠はキュウゾウさん、あなただけです」
子どもだった。戦も知らぬ、人の肉を絶つ音も知らぬ、今の世を生きる子どもだった。だが、それゆえの曲がり方さえ知らぬ真っ直ぐさが、何かを貫こうとしていた。
「オレは、諦めません。逃げません。必ず神無村を救って、必ずキュウゾウさんに弟子にしてもらいます」
まるで、師事することと村を救うことが同列であるかのように言う。
「……認めぬ」
「わかっています」
キュウゾウの答えが解っていたかのように、イブキが肯く。
何故は無かった。何もかもについて、二人にとってそれは必要の無いものだった。
「オレは諦めません」
もう一度繰り返すと、失礼します、と頭を下げてイブキは踵を返した。
後姿の足取りは、堂々としてなどおらず、ひどく頼りない歩みだった。やがて月の無い闇に消える。
イブキは謝らなかった。
許しも請わなかった。
そうして、自らの覚悟を示して見せた。
かの覚悟はこれなのか。これを覚悟というのか。決して馬鹿にするではなく、そう思うと少し可笑しくさえあった。
キュウゾウにとってそれは意外を思わせるいきものだった。
この自分をして師を望み、逃げるかと思えば肚を据えて見せる。そうしてまた、この目の前に現れる。
ただ自分だけを見る茶色い双眸を思い出して、キュウゾウは目を伏せた。知らず、僅かに口の端を上げる。
月へと視線を上げた。それは変わらぬ硬質の輝きを放つ。
集団に紛れる少年の姿を見付けた時、彼は、何故だろうかと思った。
故を要らぬはずの彼が、何故命を賭したものをそうして裏切ったのか、訊きたいと思ったのだ。
夜が深まる。空気は先ほどよりも、冷たかった。
野営地から離れた森の陰に佇むキュウゾウをどうやってか見付け出してイブキは彼に対峙した。
キュウゾウは樫の老木の太い幹に背を預け彼方の山を見ていた。イブキは彼から少し距離を置いて立つ。
月明かりを背にしていた。俯き、爪先を見詰める。
「……生きていたか」
暫くの沈黙の後、キュウゾウが言った。
彼が口を開いたことへの、驚きが気配に表れる。イブキは顔を上げたようだった。
キュウゾウの目が変わらず自分を見ていないことへか、小さく息を呑む。
「……おめおめと、生き残りました」
寝返ったのだ。此処に居るということはそういういことだった。カンベエたちを追う少し前に、生き残ったかむろ衆が何をか言っていたことは彼の意識の隅に残っていた。
「オレは、キュウゾウさんを、裏切りました」
また、という言葉をイブキが呑み込んだ。何を感じているのか、ぎこちない口調は、それでも言葉を続ける。
「オレは、覚悟を決めたんです」
遥か彼方、冷たく冴える月を視界に入れていたキュウゾウの目が、す、と細くなった。
「キュウゾウさんを、裏切ってでも、村を救うと」
目的の村は、故郷だと誰かが言っていた気がした。
イブキは、命乞いをしなかった。
畳に額を据えながら、己の行為に拠って命を絶たれることも仕方が無いと思っていた。己のした事が命が掛かる事だと理解していた。
屋敷でのあの時、そうまでしてキュウゾウの元にいることを望みながら、覚悟を決めたその時、彼を裏切ることを選んだ。
つい、とキュウゾウの視線が動く。
イブキは彼の視線を捉えた。真正面からキュウゾウの顔を見る。
「オレはもう逃げません」
震えの滲む声が、しかし気丈な振りをして言う。
「キュウゾウさんを裏切ったオレは、あなたを師匠と呼ぶ資格はありません。でも、オレにとって、師匠はキュウゾウさん、あなただけです」
子どもだった。戦も知らぬ、人の肉を絶つ音も知らぬ、今の世を生きる子どもだった。だが、それゆえの曲がり方さえ知らぬ真っ直ぐさが、何かを貫こうとしていた。
「オレは、諦めません。逃げません。必ず神無村を救って、必ずキュウゾウさんに弟子にしてもらいます」
まるで、師事することと村を救うことが同列であるかのように言う。
「……認めぬ」
「わかっています」
キュウゾウの答えが解っていたかのように、イブキが肯く。
何故は無かった。何もかもについて、二人にとってそれは必要の無いものだった。
「オレは諦めません」
もう一度繰り返すと、失礼します、と頭を下げてイブキは踵を返した。
後姿の足取りは、堂々としてなどおらず、ひどく頼りない歩みだった。やがて月の無い闇に消える。
イブキは謝らなかった。
許しも請わなかった。
そうして、自らの覚悟を示して見せた。
かの覚悟はこれなのか。これを覚悟というのか。決して馬鹿にするではなく、そう思うと少し可笑しくさえあった。
キュウゾウにとってそれは意外を思わせるいきものだった。
この自分をして師を望み、逃げるかと思えば肚を据えて見せる。そうしてまた、この目の前に現れる。
ただ自分だけを見る茶色い双眸を思い出して、キュウゾウは目を伏せた。知らず、僅かに口の端を上げる。
月へと視線を上げた。それは変わらぬ硬質の輝きを放つ。
集団に紛れる少年の姿を見付けた時、彼は、何故だろうかと思った。
故を要らぬはずの彼が、何故命を賭したものをそうして裏切ったのか、訊きたいと思ったのだ。
夜が深まる。空気は先ほどよりも、冷たかった。