花の色は移ろいやすく徒に。
その日はお互いに機嫌が悪かった。
シチロージは以前代金を踏み倒された男を見つけたのに捕まえ損ね、イブキは新たに踏み倒そうとした男に手酷くやり返された。
どちらの男も、この界隈では有名なタチの悪いサムライ崩れだった。己の迂闊ささえなければ、今の失態は無いはずだった。その上お互いが間の悪い頃合で各々対峙することとなったため、お互いを助けることもできなかった。
シチロージは牛台の手前で、むっつりと帳簿を睨んでいた。
本来、金勘定の問題は幇間の仕事では無かったが、タチの悪い客の面倒を見る役だけはシチロージの仕事だった。腕と目鼻の効く彼にとっては、それは当然とも云えた。
件の客──シチロージから逃げた男──は、踏み倒しを図る前から幾度と無く問題を起こしている。金払いは良いほうではなく、付けさせようとしたこともあったようだ。色街で付け払いしようなどと、粋も何もあったものではない。
だが悪客だといって、金を払うのであれば門前払いを喰らわせるわけにもいかない。誰もが身分の高低を忘れる場所、少しの例外はあれど、それは来るものを拒まず去るものを追わぬ場所でなければならなかった。
そうは言っても、警戒することくらいはできたのだ。
中身の器量が悪く妓たちからもよくない噂ばかり聞くと、珍しく渋い顔で戻ってきたシチロージに同情したのか、近所の箱屋が教えてくれた。
調べれば調べるほど、シチロージの表情は険しくなる。
己の不徳としか言いようが無かった。
シチロージは渋い顔のまま面を上げて帳簿を閉じると、また別の綴りを取り出した。それを再び睨む。
不意に、紙面に傍らから影が差した。そのままその場に佇む。
口を開かないその気配に、シチロージが顔を傾けるようにして見やった。
「具合はどうです」
蛍屋の着物を着させられたイブキは、意気消沈といった体で床を見つめている。
シチロージとまったく同じようにむっつりとしていたが、顔に傷がある分、より酷い有様だった。
相手はイブキを子どもと侮ったのか鞘を抜かなかったらしく、血が吹き出るような傷は無いものの、体中のあちこちに酷い打ち身だという。特に包帯を巻かれた右手など、内側で出血して鈍い色に腫れ上がり、余計に痛々しい。
恐らく、どれだけ打たれても刀を手放さなかったのだろう。
相手が抵抗できない人間の利き手を潰して悦ぶような、下種の輩でなくて良かったと、シチロージは溜息をつく。
「手が届かない相手だったら、直ぐに退きなさいと教わったんじゃなかったかい」
「……届かないとは、思いませんでした」
イブキが掠れた声で言う。
確かに、今のイブキであればどうにかできない相手では無かったようだ。手元の綴りに視線を落として、シチロージは思う。
件の客──イブキを傷めつけた男──は、それほど大した腕を持っているわけでもなく、その性質に問題がある種の悪客だった。だが、歳から言って実践経験の数はイブキとは比べ物にならないだろう。
物腰から勝てると判断するには、早計が過ぎた。
「……じゃあ、お前さんは、何故そこまで手酷くやられちまったんだと思うんだい」
イブキのいらえは無い。ただ無言で俯く気配がある。
「お前さんの腕がなまくらで、サムライ崩れの1人、斬ることさえできないからかい」
その日、シチロージは苛立っていた。イブキの所為ではない。己自身に対する腹立ちだったが、いつものように巧く気を回すことができなかった。軽い調子の揶揄にし損ねた言葉が、止めることもできずに口を突いた。
イブキが息を呑む気配がした。
しまった、と思ったときにはもう遅かった。
言い返そうと試みさえせずに、イブキはシチロージに背を向けた。苛立ちも、嘆きも見えない淡々とした足取りで、店の奥に消える。
シチロージはその背を呼び止めようと口を開いたが、言葉を発することができなかった。
牛台から、外を眺める。
脹脛を置くように脚を組んで、その膝の上に頬杖を突く。指先が苛々と、雪駄の先を叩く。
大分前から、こうやってシチロージは店の前の道を睨んでいた。
件の客を待ち構えている振りをしていたが、あれがまた現れるわけもないことは自身が一番よく解っていた。あれだけシチロージに追われたのだ。しばらくは里にさえ降りてこないだろう。
物見の振りして物思うシチロージには、客引きができない、と居場所を取られて嘆く妓夫太郎の声さえ耳に入らない。
思い返せば、始めからイブキの態度はいつもと違ったのだ。
普段のイブキならば、教えを違えたと知った時点で、すぐに己の非を認める。解っているのに、ああやって意固地になることはひどく珍しい。
この間ことをまだ引き摺っているのだろうか。
そう思ってから、自分の言葉が思い出される。
ほんの数日前に焦るなと言っておいて、人が斬れないからなまくらだとは、一体どういう了見だろうか。言い訳の効かない、酷い言い種だ。
不徳、極まれり。
最早物見の振りさえ放棄して、シチロージは片手で顔を覆うと、深い溜息を吐いた。
カチリ、と鍔が鞘に触れて鳴った。
イブキは自分の左の傍ら、縁台の上に刀を置いた。庭に足を放り出す形で縁台に腰掛ける。
空を仰いでも、星は見えない。その代わりとばかりにあちらこちらで蛍光装飾が様々な色に光り、目映いばかりに煌いている。
イブキが居るのは控えの座敷の前だった。
上では日が落ちた今、殆どの座敷に客が入っているはずだったが、店の裏側に当たる此処は、三味線の音が僅かに響くばかりで静かなものだった。
用心棒の仕事は、これからが本領だった。だが、この手では何の役にも立たない。
左手で体を支え、右手を腿の上に置く。布製の包帯が命一杯巻かれた掌を見下ろして、イブキは苦い笑いを零した。
刀に生きるはずのサムライが右手をやられては話にならない。死に体も当然だった。
シチロージの言葉は最もだ。イブキは素直にそう思っていた。命を懸ける価値も無い相手の手にかかって死ぬなど、それほど馬鹿馬鹿しいことはない。そしてそれ以前に、喧嘩刀で命を預けられると言っていいほど、イブキはまだ強くなかった。
自分の有様に、返す言葉も無かった。そして、返したい言葉も無かった。
もう一度空を見上げ、溜息をつく。
右手の廊下の少し先に、小さな物音が聞こえた。
殆ど足音を立てずに摺足で進む歩き方。蛍屋の奉公人は少ない数ではなかったが、その中でも、この歩き方をするのはイブキとシチロージだけだった。
「具合は、どうです」
もう一度繰り返すように、シチロージが言った。その声は先ほどと同じように少し堅く、先ほどとは違ってぎこちなくも優しかった。
それはみっともない自分に掛けられるには十分過ぎるほど優しくて、イブキは泣きそうになった。
「……痛いです」
涙を零さないよう、上を向いたまま応える。
シチロージは縁台の角の柱に身を預けて立つ。イブキとは少し距離を置くことを望むようだった。
「良く、冷やしなさい。暫くすれば腫れも退く」
この間あれだけ泣いたのに、また泣いてしまいそうだった。
自分を情けないと思えば思うほど、堪らなかった。一筋零れ、それを合図に堪え切れず下を向く。
ぽた、ぽた、と右手の包帯が濡れた。
「痛むのかい」
直ぐ近くでシチロージの声がした。
首を振って否定する。涙が零れた。
傍らにしゃがみ込んだシチロージが、顔を覗き込んでくる気配がする。その手がそっと背中を撫ぜる。
温かい手だ。それは、イブキの大好きな手だった。
「……後悔しているのか」
あたしと供に来ることを選んだことを。低く優しい声が変わらぬ調子でそう言った。イブキは思わず顔を上げる。
外の空の色をした瞳が、イブキを見詰めていた。
一瞬、イブキは自分が泣いていたことも忘れてその目を見返した。
「言ったはずです。……オレは、シチロージさんみたいになりたいって」
良い終えると、それだけで十分だとでもいうように、口を閉じてじっとシチロージの顔を見詰める。
しばらくの間そのまま、視線を外すとまた色の無い空を見上げた。
「後悔、するはずがありません」
そして苦笑混じりに、「でも」と続ける。
「シチロージさんは、後悔してるんじゃないですか」
オレを連れてきて。そう呟いた。
イブキの言葉に、シチロージは直ぐには答えなかった。腰を落としてイブキの隣に腰掛けると、溜息を誤魔化すように笑った。
「あたしは、後悔するようなこたしません」
「本当ですか」
「嘘です」
「嘘ですか」
イブキは一度目の問いには僅かに顔を輝かせ、二度目の問いでは解りやすく落胆を浮かべた。その表情の変化に、シチロージは思わず笑う。先ほどとは違う笑い方だった。
「……お前さんはどうしてそう、素直なんです」
今度はきょとんとした顔でイブキがシチロージを見詰める。
こんなに表情が豊かで、一体サムライになどなれるのかと、シチロージがまた笑ったが、それを見たイブキは不満そうに口をへの字に曲げた。
「お前さんの腕は、なまくらじゃあありません。あたしが保証します」
「え?」
「いいですかい」
唐突に念を押されて、イブキは戸惑いながら頷く。
それが先ほどの会話のことを言ってるのだと気づいた時には、シチロージはどこか庭の向こうを見ていた。
蛍光の青が映る横顔をぼんやりと見詰めて、ようやく、それが決まりの悪さを誤魔化しているのだと気が付いた。
自分こそ申し訳ないと思う気持ちと、うれしいと思う気持ちが同時に込み上げて来て、イブキは俯いて笑いを洩らした。抑えた声が口から零れる。
「なんです」
シチロージの声は不機嫌だった。
滅多に聞けない珍しいそれに、堪え切れずに笑ってしまう。
「世の中の理とか、まだ良く解らないですけど」
イブキが顔を上げると、シチロージが横目にこちらを見下ろしていた。
「シチロージさんと居られて、オレ、人生楽しいですよ」
蒼色の瞳に向けて、頬に涙の跡を残したまま、にっこりと笑って見せた。
驚いたように僅かに顎を上げると、シチロージは何も言わずに視線を外した。
その日、シチロージは機嫌が悪かった。
遠くを見て誤魔化す不機嫌な横顔を見上げて、イブキはうれしそうに笑っていた。
シチロージは以前代金を踏み倒された男を見つけたのに捕まえ損ね、イブキは新たに踏み倒そうとした男に手酷くやり返された。
どちらの男も、この界隈では有名なタチの悪いサムライ崩れだった。己の迂闊ささえなければ、今の失態は無いはずだった。その上お互いが間の悪い頃合で各々対峙することとなったため、お互いを助けることもできなかった。
シチロージは牛台の手前で、むっつりと帳簿を睨んでいた。
本来、金勘定の問題は幇間の仕事では無かったが、タチの悪い客の面倒を見る役だけはシチロージの仕事だった。腕と目鼻の効く彼にとっては、それは当然とも云えた。
件の客──シチロージから逃げた男──は、踏み倒しを図る前から幾度と無く問題を起こしている。金払いは良いほうではなく、付けさせようとしたこともあったようだ。色街で付け払いしようなどと、粋も何もあったものではない。
だが悪客だといって、金を払うのであれば門前払いを喰らわせるわけにもいかない。誰もが身分の高低を忘れる場所、少しの例外はあれど、それは来るものを拒まず去るものを追わぬ場所でなければならなかった。
そうは言っても、警戒することくらいはできたのだ。
中身の器量が悪く妓たちからもよくない噂ばかり聞くと、珍しく渋い顔で戻ってきたシチロージに同情したのか、近所の箱屋が教えてくれた。
調べれば調べるほど、シチロージの表情は険しくなる。
己の不徳としか言いようが無かった。
シチロージは渋い顔のまま面を上げて帳簿を閉じると、また別の綴りを取り出した。それを再び睨む。
不意に、紙面に傍らから影が差した。そのままその場に佇む。
口を開かないその気配に、シチロージが顔を傾けるようにして見やった。
「具合はどうです」
蛍屋の着物を着させられたイブキは、意気消沈といった体で床を見つめている。
シチロージとまったく同じようにむっつりとしていたが、顔に傷がある分、より酷い有様だった。
相手はイブキを子どもと侮ったのか鞘を抜かなかったらしく、血が吹き出るような傷は無いものの、体中のあちこちに酷い打ち身だという。特に包帯を巻かれた右手など、内側で出血して鈍い色に腫れ上がり、余計に痛々しい。
恐らく、どれだけ打たれても刀を手放さなかったのだろう。
相手が抵抗できない人間の利き手を潰して悦ぶような、下種の輩でなくて良かったと、シチロージは溜息をつく。
「手が届かない相手だったら、直ぐに退きなさいと教わったんじゃなかったかい」
「……届かないとは、思いませんでした」
イブキが掠れた声で言う。
確かに、今のイブキであればどうにかできない相手では無かったようだ。手元の綴りに視線を落として、シチロージは思う。
件の客──イブキを傷めつけた男──は、それほど大した腕を持っているわけでもなく、その性質に問題がある種の悪客だった。だが、歳から言って実践経験の数はイブキとは比べ物にならないだろう。
物腰から勝てると判断するには、早計が過ぎた。
「……じゃあ、お前さんは、何故そこまで手酷くやられちまったんだと思うんだい」
イブキのいらえは無い。ただ無言で俯く気配がある。
「お前さんの腕がなまくらで、サムライ崩れの1人、斬ることさえできないからかい」
その日、シチロージは苛立っていた。イブキの所為ではない。己自身に対する腹立ちだったが、いつものように巧く気を回すことができなかった。軽い調子の揶揄にし損ねた言葉が、止めることもできずに口を突いた。
イブキが息を呑む気配がした。
しまった、と思ったときにはもう遅かった。
言い返そうと試みさえせずに、イブキはシチロージに背を向けた。苛立ちも、嘆きも見えない淡々とした足取りで、店の奥に消える。
シチロージはその背を呼び止めようと口を開いたが、言葉を発することができなかった。
牛台から、外を眺める。
脹脛を置くように脚を組んで、その膝の上に頬杖を突く。指先が苛々と、雪駄の先を叩く。
大分前から、こうやってシチロージは店の前の道を睨んでいた。
件の客を待ち構えている振りをしていたが、あれがまた現れるわけもないことは自身が一番よく解っていた。あれだけシチロージに追われたのだ。しばらくは里にさえ降りてこないだろう。
物見の振りして物思うシチロージには、客引きができない、と居場所を取られて嘆く妓夫太郎の声さえ耳に入らない。
思い返せば、始めからイブキの態度はいつもと違ったのだ。
普段のイブキならば、教えを違えたと知った時点で、すぐに己の非を認める。解っているのに、ああやって意固地になることはひどく珍しい。
この間ことをまだ引き摺っているのだろうか。
そう思ってから、自分の言葉が思い出される。
ほんの数日前に焦るなと言っておいて、人が斬れないからなまくらだとは、一体どういう了見だろうか。言い訳の効かない、酷い言い種だ。
不徳、極まれり。
最早物見の振りさえ放棄して、シチロージは片手で顔を覆うと、深い溜息を吐いた。
カチリ、と鍔が鞘に触れて鳴った。
イブキは自分の左の傍ら、縁台の上に刀を置いた。庭に足を放り出す形で縁台に腰掛ける。
空を仰いでも、星は見えない。その代わりとばかりにあちらこちらで蛍光装飾が様々な色に光り、目映いばかりに煌いている。
イブキが居るのは控えの座敷の前だった。
上では日が落ちた今、殆どの座敷に客が入っているはずだったが、店の裏側に当たる此処は、三味線の音が僅かに響くばかりで静かなものだった。
用心棒の仕事は、これからが本領だった。だが、この手では何の役にも立たない。
左手で体を支え、右手を腿の上に置く。布製の包帯が命一杯巻かれた掌を見下ろして、イブキは苦い笑いを零した。
刀に生きるはずのサムライが右手をやられては話にならない。死に体も当然だった。
シチロージの言葉は最もだ。イブキは素直にそう思っていた。命を懸ける価値も無い相手の手にかかって死ぬなど、それほど馬鹿馬鹿しいことはない。そしてそれ以前に、喧嘩刀で命を預けられると言っていいほど、イブキはまだ強くなかった。
自分の有様に、返す言葉も無かった。そして、返したい言葉も無かった。
もう一度空を見上げ、溜息をつく。
右手の廊下の少し先に、小さな物音が聞こえた。
殆ど足音を立てずに摺足で進む歩き方。蛍屋の奉公人は少ない数ではなかったが、その中でも、この歩き方をするのはイブキとシチロージだけだった。
「具合は、どうです」
もう一度繰り返すように、シチロージが言った。その声は先ほどと同じように少し堅く、先ほどとは違ってぎこちなくも優しかった。
それはみっともない自分に掛けられるには十分過ぎるほど優しくて、イブキは泣きそうになった。
「……痛いです」
涙を零さないよう、上を向いたまま応える。
シチロージは縁台の角の柱に身を預けて立つ。イブキとは少し距離を置くことを望むようだった。
「良く、冷やしなさい。暫くすれば腫れも退く」
この間あれだけ泣いたのに、また泣いてしまいそうだった。
自分を情けないと思えば思うほど、堪らなかった。一筋零れ、それを合図に堪え切れず下を向く。
ぽた、ぽた、と右手の包帯が濡れた。
「痛むのかい」
直ぐ近くでシチロージの声がした。
首を振って否定する。涙が零れた。
傍らにしゃがみ込んだシチロージが、顔を覗き込んでくる気配がする。その手がそっと背中を撫ぜる。
温かい手だ。それは、イブキの大好きな手だった。
「……後悔しているのか」
あたしと供に来ることを選んだことを。低く優しい声が変わらぬ調子でそう言った。イブキは思わず顔を上げる。
外の空の色をした瞳が、イブキを見詰めていた。
一瞬、イブキは自分が泣いていたことも忘れてその目を見返した。
「言ったはずです。……オレは、シチロージさんみたいになりたいって」
良い終えると、それだけで十分だとでもいうように、口を閉じてじっとシチロージの顔を見詰める。
しばらくの間そのまま、視線を外すとまた色の無い空を見上げた。
「後悔、するはずがありません」
そして苦笑混じりに、「でも」と続ける。
「シチロージさんは、後悔してるんじゃないですか」
オレを連れてきて。そう呟いた。
イブキの言葉に、シチロージは直ぐには答えなかった。腰を落としてイブキの隣に腰掛けると、溜息を誤魔化すように笑った。
「あたしは、後悔するようなこたしません」
「本当ですか」
「嘘です」
「嘘ですか」
イブキは一度目の問いには僅かに顔を輝かせ、二度目の問いでは解りやすく落胆を浮かべた。その表情の変化に、シチロージは思わず笑う。先ほどとは違う笑い方だった。
「……お前さんはどうしてそう、素直なんです」
今度はきょとんとした顔でイブキがシチロージを見詰める。
こんなに表情が豊かで、一体サムライになどなれるのかと、シチロージがまた笑ったが、それを見たイブキは不満そうに口をへの字に曲げた。
「お前さんの腕は、なまくらじゃあありません。あたしが保証します」
「え?」
「いいですかい」
唐突に念を押されて、イブキは戸惑いながら頷く。
それが先ほどの会話のことを言ってるのだと気づいた時には、シチロージはどこか庭の向こうを見ていた。
蛍光の青が映る横顔をぼんやりと見詰めて、ようやく、それが決まりの悪さを誤魔化しているのだと気が付いた。
自分こそ申し訳ないと思う気持ちと、うれしいと思う気持ちが同時に込み上げて来て、イブキは俯いて笑いを洩らした。抑えた声が口から零れる。
「なんです」
シチロージの声は不機嫌だった。
滅多に聞けない珍しいそれに、堪え切れずに笑ってしまう。
「世の中の理とか、まだ良く解らないですけど」
イブキが顔を上げると、シチロージが横目にこちらを見下ろしていた。
「シチロージさんと居られて、オレ、人生楽しいですよ」
蒼色の瞳に向けて、頬に涙の跡を残したまま、にっこりと笑って見せた。
驚いたように僅かに顎を上げると、シチロージは何も言わずに視線を外した。
その日、シチロージは機嫌が悪かった。
遠くを見て誤魔化す不機嫌な横顔を見上げて、イブキはうれしそうに笑っていた。