春遥か、冬増ゆり

 何故か不意に、オレはその話をしたくなった。
 その日はとても寒くて、今にも雪が降り出しそうだった。オレとキュウゾウさんは日が落ちる前に旅を切り上げ、人影の無い農村に宿を借りた。
 話をしたくなったのは、囲炉裏に底の深い鉄の鍋を掛け、それを温めながら、これがまるで自分の時間では無いように思えてしまったからかも知れなかった。
 生憎肉を切らしてしまい、自生していた菜っ葉を煮込んだホタルメシに、糒を加えて粥のようなものを作った。鍋と杓子、椀はこの家にあったもの。薪は枯れ木を集めたものだ。
 野伏せりに追われた村で、廃屋の床に夕焼けの光が落ちる。
 キュウゾウさんは柱に背を預け、刀を抱えるようにして目を伏せる。オレは杓子で鍋をかき混ぜながらゆるりと回る水を見詰めた。
 吐く息が白い。火はまだ弱く、暖を取れるほど温まってはいなかった。沸くには暫くかかるだろう。
 鍋に蓋をして囲炉裏の傍らに座り込んだ。
 しん、としていた。
 こんな日は何もかもが安全な場所に逃げ込もうとする。そうして息を潜め、春を待つのだ。
 ふと、村の冬もこんな風だったと、思い出した。白くて寒くて、そして美しかった。
「……寒くないですか?」
 屋奥を見やって問う。キュウゾウさんが瞼を上げた。こちらを見る。
「薪、もっと集めてきましょうか」
 大丈夫だ、とキュウゾウさんが応える。微かに首を振ることを言葉に代え、また目を閉じる。
 その肩に窓から赤い光が射して居た。
 日はゆるゆると落ちてゆく。
 鍋は煮えず、オレは手持ち無沙汰で、結局腰を上げると窓に歩み寄った。
 まだ雪は降りだしていない。
 その窓から夕日は見えなかったが、陰の長さから考えると、もう直ぐ山入端に消えそうだった。日が落ちれば辺りは真っ暗になる。
 やはり今のうちに薪を増やしておこうと思い、オレはキュウゾウさんを見やった。
「暗くなる前に、もう一度薪、拾いに行ってきます」
 今度は否とはいわなかった。代わりに腰を上げようとする。
「大丈夫ですよ、少し拾うだけです。こんなのサムライの仕事じゃないですから――」
 それは無意識に口を突いた。自分の言葉に驚いて目を丸くする。
「……いえ、ええと。オレ、……オレも、サムライ、ですよね」
 何言ってんだろ、と誤魔化すように笑う。
「とにかく薪取ってきます、鍋、もし噴いたらお願いします」
 そう言い置いて、オレは民家を出た。
 後ろ手に戸を閉めて息をつく。
 冷たい風が吹いて、首巻を忘れたことに気が付いた。屋内に居たから外して置いたのだった。
「……鍋の番なんて、きっと、もっとサムライらしくないな」
 思い出して独りごちる。
 何故急にそんな風に思ったのだろう。
 今まで、一度たりと、自分をサムライの外に置いたことなど無かった。意識してそうしてきたのかも知れない。
 ずっと、サムライになることだけを目標としてきた。総てを捨てた。農民だった自分は7年前に捨てたのだ。
 視線を動かし、目の前に広がる風景を眺めた。人影の無い村があった。直ぐ傍に朽ちかけた水車があって、その向こうに閑散とした広場がある。
 少しだけ、神無村に似ていた。
「……助けが無ければ、村もこうなっていた」
 そう、小さな声で呟いた。
 不意に7年前のことが頭に浮かびそうになる。
 目を伏せ、深く息を吸って、吐く。
 村は白かった。
 静かで、美しかった。
 ちらちらとゆらめきながら白いものが落ちてきた。ふわりと軽く、土の上に落ちて消える。
 雪が降ってきた。
 はたと我に返る。目的を忘れていた。オレは枯れ木を探し始める。
 手早く薪代わりの枯木を集め、宿に戻った。
 片手にそれを抱えて引き戸を開く。中へと入りかけ、違和感を得て踏み出しかけた足を止めた。
 固まってしまったのは一瞬で、ゆっくりと左手を見やる。
 刀を抱える姿勢は変わらず、紅い外套を着た姿がそこにあった。壁を背に立つ。
 目線がこちらを見た。
 驚きにオレはその目を見詰めてしまった。
「……雪」
 意識の外でまったく関係のない言葉が口を突く。
「雪、……降りだしました」
 そうか、とキュウゾウさんが頷く。オレを見ていたが、何も言わなかった。
 何か意図があるのかとは感じたが、どうして良いのか解らず、オレは薪を置くことにした。
 戸を閉めて背を向けると、土間にしゃがみ込んで端にそれを下ろす。散らばった幾つかを纏めて積み直した。
「……この村は、少し、神無村に似ていますね」
 枝を拾いながら迷って、結局そう口を開いた。
 少し、村のことを思い出します。枝を手に続ける。
「今頃、向こうもきっと雪ですよ。……いや、もう積もってるかも知れないな」
 手にしたものを山に重ねる。こうやって雪を積んで遊んだ。記憶が蘇るようだった。
「綺麗なんですよ。白くて、なんにも無くて。本当に静かで」
 枯れ木を纏め終え、手を払う。膝に手を突いて立ち上がる。
 振り返り様、オレがその顔を見たのとほぼ同時に、キュウゾウさんが口を開いた。
「……戻りたいか」
 驚くよりもその問いの意味を思ってキュウゾウさんの顔を見る。
 村に。……それとも、農民に。
 オレは首を振って否定する。両方の意味を。
「オレの覚悟を疑わないでください」
 僅かに首を傾ぐようにして、その目がオレを見下ろした。
「キュウゾウさんと共に行くってことがどんなことなのか、少しくらいは、解ってるつもりです。……そりゃ、まったく思っても無かったことも、色々ありましたけど」
 言いながら、後のほうは堪えきれず視線を外してしまった。
 今思い出さなくてもいいことまで頭を過ぎって、眉を顰める。
「……とにかくオレの意志は変わりありません」
 一度崩れかけたことは口に出さなかった。そうだとしても、サムライであるキュウゾウさんに何処まででもついて行くという気持ちは、出会った時から変わっていない。
「……何故腹を立てる?」
「何故って、」
 思わずその顔を見て、オレは言い掛けた言葉を止めた。
 心無しか、キュウゾウさんが笑っているように見えた。口の端が上がっているようにも見え、こちらに向ける視線がひどく優しいようにも見えた。
 揶揄われたのだ。
 それはこの上無く珍しいことだった。心中驚きを思いながら、理解したしるしにオレはわざとらしく溜息を吐く。
「……知りません」
 視線を何処へとも無く投げた横で、今度こそ、ふ、と笑う声が聞こえた。微かなそれを聞き咎め、更に眉を顰める。
 なんでそんな風に愉しそうなのかな、この人は。
 そう思って口をへの字に曲げてみても、投げる言葉も見つからない。もう一度溜息をつく。
 そうして、視線を上げると土間の先、中央の囲炉裏が見えた。鍋は蓋の隙間から湯気を上げ、聞けばじやじやと鳴る。煮えるどころか炊き上がり間際だった。
「なべ──」
 そちらに気を取られ、中央へ足を向けた刹那、何かが腕を掴んだ。そのままあっと言う間に腕の中に抱き込まれる。
 引き込む力とは真逆に、その手つきは優しかった。背中に硬いものが当たって、鞘ごと抱えられているのだと気付く。
 抵抗するべきなのか、一時、逡巡する。けれどその手を振り払うことなどオレに出来る筈も無く、結局そのまま腕の中に納まった。
 キュウゾウさんの体温は温かかった。決して薄くない外套越しにそれを感じたと思ったのは、ただの勘違いかも知れないけれど。そう考えて小さく、息をつく。
「……あったかい、ですね」
 それはひどく間の抜けた言葉に聞こえた。感じたままをただ口にしただけだった。
 オレはこんなとき、なんと言うのかも知らない。
 刀以外のことは、何もまともに知らなかった。記憶の遥かに田植えの仕方があるくらいだ。情けなくて苦笑いが零れる。
 それでもオレの背を抱くその手から、始めの言葉は揶揄ではないと知った。
 肩口に顔を埋めるように、目を伏せて、言うべきことを思った。けれど、何も浮かばなかった。
 オレは壁と背の間に手を回して、背伸びをするように、その耳許に顔を近づける。
「オレの居場所は、他の何処にもありません」
 巧く言えなくても良かった。それでも良いから、伝えたかった。
「オレの居場所は、此処だけです」
 村の何を思い出したとしても。たとえ血のにおいが消えなくとも。
 オレの居場所はキュウゾウさんの傍だけだ。
 その手に力が篭り、強く抱き締められる。
 オレは、この人に斬られてこそ、本望なのかも知れない。その手に身を預けて、いつか、その刀が自分のことも斬るかも知れないと思ったことを思い出した。
 サムライだから、それだけではない。それ以外の総てを以って。それほどまでにオレは。
 そこまで思って、鍋が噴きこぼれる音が聞こえた。
 静寂を切り裂くにはあまりにも間抜け過ぎて、オレは思わず笑ってしまう。キュウゾウさんの眉間に皺の寄る気配がする。
 オレは纏まりのつかない思考を追い払うようにゆるくかぶりを振って、上を仰ぐ。
「……鍋がこぼれます」
 顎を傾けて、キュウゾウさんの目がオレを見る。
 間抜けな台詞に笑み一つ零さず、少しの間そのまま、こちらを見ていた。
 不意にその目が近づいてきて、反射的に体を引いた。顎を捉えられる。掬い上げるように唇が触れた。
 耐え切れず吐息が漏れるまで、それは離れなかった。背に回した手を引き、肩に突く。
「……、……っ見ないと、なべが……」
「後にしろ」
 鼻の先で低い声が囁いた。
 何を言い返す間もない。もう一度同じように口を塞がれる。やがて聞こえる筈のものが聞こえなくなり、あたりはひどく静かで、ただ、粘液の擦れる音だけがやけに大きく耳の内に在る。
 そうしてオレは、何も言えなくなった。